ここまでは私の妊活についての話をしてきました。
実はこのブログを書き始めて少し経った頃、私は不妊を乗り越え、妊娠することができました。
できたのですが…
ここからは化学流産や病気、中絶、死産などを含む、少し悲しいお話になります。
苦手な方や同じようにお辛いご経験がある方は、読まれるかご自身でご判断ください。
もし、同じような出来事に辛く苦しむ方がいらっしゃいましたら、ここで悲しみを共有できたらと思っております。
2人目不妊からの待望の陽性反応
辛く苦しい2人目妊活をして2年ほど経った頃、私は新しい挑戦をすることにした。
私の夫は結婚して、娘が生まれた直後にコロナが流行したタイミングで、自分の働き方や時間の使い方、これからの人生について考え直し、会社をやめ個人事業主になった。
夫の考え方をたくさん聞いてきた私は、「自分も何かしたい!自分も変わりたい!」という思いにかられ、新しいビジネスをはじめるためにオンラインスクールに入った。
このオンラインスクールの金額は高かったが、だからこそそこからはあまり「妊活!妊活!」とならずに、仕事や勉強に意識が向いていた。
そしてその1か月後に、妊娠検査薬が陽性になった。
2年半の妊活で一度も見ることがなかった『2本線』。
よく、「諦めたころに妊娠しました」というのを妊活をしていると目にすると思う。
私はこれが本当に理解できず、「私だって諦めているのに!」と何度もイライラした。
でも今なら、この意味が少しわかるような気がする。
『妊活』だけに意識が向いていると、ストレスも強く感じやすいが、この時の私は間違いなく『他のこと』に目を向けている時間があり、「妊活!妊活!」と意気込んでいなかった。
もちろん体が整うタイミングや、卵子と精子の状態など、数多くの奇跡が重なったはずだから、一概にこれが理由とは言えないが、2年半を思い返してみると、他のことに目を向けたことで少し緊張の糸がほぐれたのだと思った。
でもこの陽性反応はそこから濃くなることはなかった。
化学流産
通常は妊娠したら、妊娠5~6週あたりで胎嚢確認ができるが、その胎嚢が確認できずにそのまま生理が来てしまうことを、『化学流産』というらしい。
妊活を長くしていると経験したことがある方も多いのではないだろうか。
化学流産とは「受精卵はできたが、着床が継続できなかった状態」のこと。
大抵は「少し生理が遅れているな」くらいにしか思わないほど初期の段階の流産なので、妊活をしていなければ多くの人はこの化学流産に気づかないと言われている。
しかし妊活をしている人は、本来なら生理予定日1週間後から使用するはずの妊娠検査薬を、早い段階(生理予定日当日付近)で使い始めるのはよくある話…
そんな私もその1人で、生理予定日当日に妊娠検査薬を使った。
2年半かすりもしなかった私が5年ぶりに見た陽性反応。
でも私は、その陽性反応を見て手放しで喜ぶことができなかった。
それは『判定線の薄さ』だった。
妊娠や出産、妊活や子育てなどの情報共有ができる『ママリ』というアプリがある。
多くの女性がそのアプリを使って情報を得ているのではないだろうか。
そしてこのママリでももちろん、化学流産に関する質問や回答の多くを見ることができる。
今までママリを見てきた私の知識として、今回気になったのがこの『判定線の薄さ』だった。
生理予定日当日にもかかわらず、私の判定線は終了線よりも薄かった。
そこから毎日毎日、妊娠検査薬を使用したが、私の判定線は生理予定日1週間経っても終了線より薄いまま濃くならなかった。
そして高温期20日目、出血がはじまり化学流産となってしまった。
化学流産を得て感じたこと
5年ぶりの陽性反応は虚しくも化学流産という結果で終わってしまった。
待ち望んでいた陽性反応に嬉しさと不安が同時に押し寄せ、そこからの毎日はただ濃くなることを祈って過ごす日々。
妊娠って本当に待つことしかできない…
陽性が出てから胎嚢を確認するまで、心拍を確認するまで、そしそこからの妊婦検診は1か月おきと、元気に育っているか不安に思いながら過ごす日々が長すぎる…!
この妊娠は化学流産で終わってしまい、生理が来てしまったのを見た瞬間に大号泣した。
どうすることもできないこと自体がまた苦しかった。
でも、この化学流産は私に希望をくれたことも事実だった。
私はこの2年半原因不明の『不妊』だった。
でもこの化学流産が起きたということは、『妊娠しかけた』ということ。
これは私にとって、光が灯ったような、本当に大きな1歩となった瞬間だった。
すごく悲しい…
たしかに悲しいのだけど、「もしかしたら3か月以内に妊娠するかもしれない」と根拠もなくそう確信したのをよく覚えている。
それくらい、『不妊』を一度でも卒業できたのは、私にとってすごく自信になる出来事だった。
妊娠が実現するまでの驚くべき壁
妊娠はまさに奇跡。
知っているようで、これは流産などを経験した人だからこそ身に染みて理解できるものなのではないのかなと思う。
妊娠までに突破しなければいけない壁とは?
- 女性の体内には約200万個の原始卵胞があるが、一生のうち実際に排卵するのはわずか400個ほど
- 排卵された卵子の寿命はたった24時間
- 男性の精子の99%以上は、膣内の酸性環境や子宮頸管の粘液バリアで死滅する
- 無事に子宮まで到達できる精子は、放出された数億個のうちわずか数百個程度
- 卵子に到達した精子も、卵子を包む透明帯を突破するためさらに厳しい競争を強いられる
- 精子と卵子が出会っても、染色体の組み合わせに問題があると発生が止まる
- 受精卵は約1週間かけて子宮まで移動し、着床のタイミングが合わないと定着できない
- 着床のためには子宮内膜の状態が最適である必要がある(厚さや血流が重要)
- 着床した後も、母体の免疫システムが異物として排除しないよう特殊な免疫調整が必要
- 初期胚の染色体異常率は約50%と非常に高く、多くは自然淘汰される
- 妊娠初期の流産率は臨床的に確認された妊娠でも15-20%
- 子宮外妊娠のリスクもある(約1-2%)
- 胎盤形成の過程は複雑で、うまく機能しないと妊娠継続が困難になる
- 妊娠継続にはホルモンバランスの絶妙な調整が必要
- 母体の健康状態、栄養状態、ストレスレベルなど様々な要因が妊娠の成立と継続に影響する
これすべて乗り越えて赤ちゃんが誕生するのは、まさに生命の奇跡。
私はこの奇跡が起きかけていたんだなー…
そう感じながら、この化学流産の2か月後。
私はまた妊娠した。
【妊娠できた…】2人目不妊を乗り越えて
やっぱり!前回の化学流産は光の灯だった!
この妊娠では判定線の濃さが不安で、2日に1回は検査薬を使っていた。
でも前回とは変わって、しっかり濃くなっていく判定線。
本当に嬉しかった。
毎日毎日不安でたまらなかったが、ふとした時に「妊娠している自分」がすごく嬉しくて、赤ちゃんが今お腹にいるんだという現実は幸せそのものだった。
そこから胎嚢確認、心拍確認もでき、妊娠判定をもらい母子手帳を受け取った。
母子手帳の表紙には、母子手帳をもらった日や、自分の名前、第2子、などを書きこんだ。
いつ、どんな風に身内に報告しようか毎日ウキウキしながら考え、夫や両親、義両親にも報告。
そして娘には、娘の誕生日に妊娠したことを伝えた。
その時の動画もある。
照れながらも嬉しそうな娘の反応がしっかり記憶にも残っている。
娘は幼稚園やお友達の中でも、自分だけ兄弟がいなかったため、赤ちゃんが来てくれるのをとても待ち望んでくれていた。
伝えたときもそのあとも、生まれてくるのをとても楽しみにしていた様子だった。
予定日は8月。
私の誕生日の8日前で、お腹の子を抱えながら一緒にローソクの火を吹き消すんだろうな、そんな写真を撮るんだろうな、と思っていた。
生まれてくるまでに車を用意しようと話を聞きに行った。
今の家でどう育てていくか、部屋のレイアウトを変えようとか、こうなった時はどうするかなど今後のことを旦那とたくさん話した。
待ち遠しくて、楽しみで、ただただこの幸せがずっと続くことを信じていた。
でも私はその約1か月後。
2025.2.28に、待望の、待望の、待望の2人目を子宮内胎児死亡により、死産した。
妊娠15週の出来事だった。
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